「トイレットペーパーが消えた」
びっくりした。店の棚からマスクだけではなく、トイレットペーパーやキッチンペーパーなどの紙類もごっそりなくなっていた。
あんなに大量の紙を買って、いったいどこに収納するんだと、日本の住居の狭さにようやく慣れてきた私は不思議でならない。
第一、トイレットペーパーの買い占めが始まったのは、デマが発端だ。「中国で生産」、そして「マスクと同じ原料」。どちらも真っ赤なウソだと早い段階で報道もされているが、テレビのインタビューに答える人はこう言う。「デマだとわかっているが、念のため買った。」
ここまで来たらもう手の打ちようがない。とも思ったが、ネットでメディアの報道への批判も上がっていた。「空っぽの棚ばかり報じるからみんな焦って買うんだよ」と。
最初は恒例の「マスゴミ論」に見えてカチンときたけれど、冷静に考えたら確かにそうである。我々は現在人手も取材費も潤沢ではない状況に置かれ、このように現象だけに留まる報道をすることが多くなってきている。まして今や視聴者投稿に頼る時代でもある。
ここで好評を呼ぶのは「トイレットペーパーのダウンボールがわんさか積んである倉庫の写真」を載せた報道である。 倉庫を見ると、ああ急いで買わなくても大丈夫だ、と確実にそう思うだから。
日々新しいことがあると思っていた報道の仕事でも、慣れれば日々の作業になってしまう。ついつい惰性で仕事をこなしてしまうが、何が社会に一番役立つのか、それをどう表現すればいいのかをしっかり考えてやるべきだと改めて思った。当たり前のことだが。